わが家から4km前後歩いただろうか?
かつての商店街を越してから「道の駅」に到着する。
今回の散策は平坦な道が多かったからか、腰と足への負担は少なかった。
この日も、廃屋と閉まっているらしい商店を多く見た。
「道の駅」周辺のごく一部の建物が新しいだけに、他の地域のうら寂しさが際立ってしまう。
私がこの場所を訪ねるのは、せいぜい2ヶ月に1度か2度に過ぎない。
利用するのも、野菜類やパン類を置いてある<夢市場>かコーヒーを飲む<休憩所>、そして<コンビニ>ぐらいのものだ。
月に2度程大分市の介護施設で暮らす母を見舞う帰りに、スーパーで食品類はまとめて買うし、惣菜類は1ヶ月に7つのコースメニューを宅急便で送ってもらっているので、この「道の駅」を利用する機会は少ない。
この日は平日だったからだろうか、停車中の車も少ないし、さほど客が多いとは思えなかった。
<夢市場>の方は、比較的利用者が多いようだったが・・・。
2、3年前はもっと客が多かったように思えるが、どうなのだろう。
昨年の夕方、久しぶりにパン屋Lに立ち寄った事があるのだが、かなり売れ残っていた。
私がこのパン屋を利用する事は、もう無いだろう。
必要なら、夢市場で買えばいいのだから。
この場所に出店していた日本料理店も写真現像所も、いつの間にか消えてしまった。
3月17日~22日まで6日間、ソウル滞在して、念願の板門店を訪問できた!
東日本が激甚な震災に見舞われた直後だけに、今回の訪韓はとても痛感させられることが多かった
震災後の自粛ムードが漂う中、被災地域の皆様方には、心よりお見舞いを申し上げます
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アレルギーが酷い症状のとき、わたしは不思議と地震予知が当たります!
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4月より燃油サーチャージがバカ高になるタイムリミット3日前のきょう。。。
病気が止まらなくなってしまった(汗
超激安航空券を手に入れることが出来た、それもGWに・・・
震災後の大変な最中、不謹慎で失礼します^^;
行っちゃいましょう!3ヶ月連続のソウルに☆
今年3回目のソウル、今年4回目の海外へGO!
もう、自分でもバカじゃないの?と開き直っちゃいました
太平洋の東日本海底プレートのように、自分の中で何かが
ぶっ壊れちゃった!
予定はコレから急遽、練ります!4~10月限定の江華島へ
行っちゃいましょう!
更にDMZを極めるも良し、足エステにどっぷり嵌るも良し
品不足な東日本だから、バブリーなKRWを片手に、モノが溢れる
ソウルで、生活食品バカ買いもリアルかもしれませんね…
人間生きているうちに、楽しまなきゃぁ損です☆
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<<予定キャリア>>
KE 702便(予定機材B777-300)
東京
(成田)
2011/04/ 13:00 出発
→ ソウル
(仁川)
2011/04/ 15:25 到着
KE 001便(予定機材A332)
ソウル(仁川)
2011/05/ 11:10 出発
→ 東京
(成田)
2011/05/ 13:30 到着
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スカイチームのDELTA・スカイマイルに算入可能な券種だったので、
KEに搭乗しながら、スカイチームのDELTAへマイルを移行しちゃいま~す☆
マイル特典が改悪進行中なスカイチームのDELTA・スカイマイルだけど…
ソウル路線に限っては、改善されたので、±0ってイメージです!
マイラー特典は、これから厳しさを増すばかりデス(汗
航空業界も厳しいってことなんですね(涙
今のうちに、とことん旅に出ましょ!☆
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2010/07/14水 ユーロラインでタルトゥ(エストニア第二の都市)へ
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・聖ヨハネ教会見学
・19世紀のタルトゥの市民の博物館見学&写真撮影
・タルトゥおもちゃ博物館見学
<ここから自転車レンタルで街中散策>
・エマユギ川沿い散策
・市場散策(夕方なのでもうほとんど閉店)
・KGB監獄博物館(外観のみ)
・トーメの丘の天使の橋と悪魔の橋と半分廃墟の大聖堂(外観のみ)
【タルトゥ泊:ホテル・タルトゥ(Tartu)】
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今回の旅行も残り5日半となり、ついに最後の3ヶ国目のエストニアに入りました。
ラトヴィアのリガから、日本出発前にあらかじめネットで予約しておいたユーロラインで、エストニアの第二の都市タルトゥに向かいました。
リガからタルトゥへはバスで約3時間。
ゆったりした座席に冷房がきいたきれいな車両で、快適なドライブが楽しめるかと楽しみにしていました。
なのに、車内はエアコンがちっとも効かず、それでいて窓は締め切られていて開けられない構造で、車内は車外よりも暑くてサウナ状態。
涼しい思いができると期待していただけに、予想外に苦痛なドライブとなってしまいました。
車窓の外の写真を時折撮ったりしましたが、大半は寝て過ごしました。寝苦しくても寝られただけましだったかもしれません。
エストニア第一歩を踏んだ地は、タルトゥではなく、町中に国境が走る珍しい町ヴァルガです。
ただし、パスポート・コントロールがないので───そしてかつてのベルリンとも全く事情が違いますから、いつ国境を超えたか、全く気付きませんでした。
2度目の休憩があって、バスから外に出ましたが、他の乗客同様、バスから着かず離れず、ただ建物の影で涼んでいただけだったので、3ヶ国目のエストニアなんだ、という感慨はほとんどありませんでした。
※リガからタルトゥへの移動についての詳細とバスや車窓の外の写真は、こちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその3:移動と市内交通編<エストニア>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483389/私にとってのタルトゥの印象は、フィンランドに近い準・北欧の国なのにカラカラに暑かった、となりました。
これはリガで過ごした日々と共通です。
また、タルトゥは、私の中では今でもなんとなく、リトアニアのカウナスと並び立つ、兄弟都市のような印象があります。
どちらもその国の第2の都市で、大学町。
徒歩での観光が可能で、規模は大きくないにしても、ユニークで興味深い博物館が粒揃い。
そのため、タルトゥでの観光は、カウナスと同じようにすれば上手くいくような気がしてしまいました。
でも、カウナスで自転車レンタルでの観光が上々だったからといって、タルトゥでも同じくらい上手くいくとは、そうは問屋が卸しませんでした。
カウナスのレンタル屋さんは町の中心、観光案内所の隣にあり、営業時間が22時まででした。
昼にカウナスに着いて午後から1日レンタルしても、レンタル中にミュージーアムをいくつか回っても十分時間がありました。
それに対し、タルトゥのレンタル屋さんは、やや郊外にあって、私の足では観光案内所にある町の中心から15分くらい歩きました。
そして営業時間が18時まででした。
行くまでに小さなミュージーアム見学を2つすませておいたとはいえ、レンタルできたのはたったの2時間でした。
※今回の旅行での自転車レンタルの詳細とレンタル屋やレンタルした自転車の写真は、こちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその12:自転車レンタル編」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488157/今から思えば、タルトゥもカウナスも、自転車レンタルをしなかった方が、いつも私が観光で優先するミュージーアムめぐりをもっと楽しめたでしょう。
自転車レンタルをしたせいで、レンタル時間中にミュージーアムを回っていたらもったいない、という気分になって、スルーしてしまったミュージーアムがいくつもあったからです。
もっとも、カウナスで楽しみにしていたミュージーアムは「悪魔の博物館」がダントツ一位で、それさえじっくり見学できれば、あとはまあ、あきらめるのは早かったです。入場料に比して高い写真代を払い、そのモトをとるどころかおつりがくるくらいたくさん写真を撮ってきました。
また、カウナスで私の興味を惹いたミュージーアムは新旧市街にやや分散していました。
※カウナスの悪魔の博物館の写真の旅行記
「2010年バルト3国旅行第4日目(2)カウナス:ユニークな悪魔の博物館(1)画家ジムイジナヴィチウスのコレクション」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527469/「2010年バルト3国旅行第4日目(3)カウナス:ユニークな悪魔の博物館(2)リトアニア中から集められた悪魔のコレクション」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527470/「2010年バルト3国旅行第4日目(4)カウナス:ユニークな悪魔の博物館(3)世界の悪魔コレクション&チュルリョーニス美術館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10527471/それに対し、タルトゥでは、どれか1つか2つ、ダントツに楽しみというよりは、いくつものミュージーアムがみんな同じように楽しみでした。
そしてタルトゥの観光スポットは、カウナスの1/4くらいのエリアに集中していました。
興味深いミュージーアムの中には少し離れたところにあるのもありましたが、あまり移動に時間をかけずとも、複数のミュージーアムを梯子しやそうな環境でした。
もちろん、だからといって、セントラルに集中していた興味あるミュージーアムを、半日でみんな回れるはずがないないことには変わりありませんでした。
自転車で町中を自由に回りたいのと、ミュージーアムをじっくり回りたいジレンマ。
カウナスもそうでしたがタルトゥも、到着日だけのたった半日しか滞在できなかったのは、とても未練が残る魅力的な町でした。
タルトゥで自転車レンタルする前に内部の見学もできたのは、聖ヨハネ教会とミュージーアム2つ───19世紀のタルトゥ市民の博物館とおもちゃ博物館です。
聖ヨハネ教会と、19世紀のタルトゥ市民の博物館では、写真も撮ることができました。
聖ヨハネ教会では、はじめは内部撮影にこだわっていなかったのですが、内部は非常に傷んでいたとはいえ、崩れかけた部分を残したレンガ造りの壁や全体に漂う古めかしさがとても風情がありました。
展示されていたすてきな絵画の写真も撮りたくなりました。
教会に入ってすぐの壁に、写真を撮るなら15EEKという貼り紙がありました。
(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00エストニア・クローン(EEK)=6.91円)
それはつまり、15EEKさえ払えば、堂々と写真が撮れるわけです。
だけど、払う相手がいませんでした。エクスキューズ・ミーと叫んでも、だぁれも出てきません。
仕方がないのでパチリ、と1枚撮ったとたん、奥からすぐに人がすっ飛んできたのには、おかしくなってしまいました。
エクスキューズ・ミーには応えてくれないのに、シャッター音には敏感なようです(苦笑)。
もちろんこれでお金を払って心おきなく写真が撮れるので、私にとって好都合でした。
19世紀のタルトゥの市民の博物館は館員さんがとても愛想良かったです。
ガイドブックであらかじめ知っていたけれど、特に写真代を払わずとも、快く写真を撮らせてもらいました。
私にとって極端に真新しいものがあったわけではないけれど、木のぬくもりがどこか郷愁を呼ぶ、等身大で住んでみたいと思わせる心地よい家でした。
おもちゃの博物館はもともと楽しみにしていたけれど、期待以上にすばらしかったです。
残念ながら撮影写真不可でしたが、撮りたくてうずうずしたことが何度あったことか。
もっとも撮影許可が下りていたら、見学に何時間もかけてしまったかもしれません。
展示フロアは意外に広く、2階建の建物2棟分あり、展示品の数も多かったです。
展示は、当然ながら、自分が子供の頃だっていまの日本にだってあまり見かけないおもちゃが大半ですが、それでもどこか共通するおもちゃにはなつかしさを覚えました。
面白いものでは、大掛かりなドールハウスの中に、1階が居酒屋、2階が宿屋で、どうみても娼館としか思えないものがありました。
あれってほんとに子供のおもちゃなのでしょうか?
居酒屋で歌っていたストリッパーの人形の顔はものすごくデフォルメされて、そこだけふざけてみせたようでした。
他には、プーさんとかディズニーのような世界的に有名なキャラクターのおもちゃ、それからチェブラーシュカはいなかったけれど、ワニのゲーナのグッズはありました。
エストニア産のアニメと思われるもののセル画の展示もありました。
それから、人形を使ったアニメの撮影に使われたと思われる人形やその物語の場面のジオラマの展示もありました。指輪物語みたいな神話か中世の冒険物語のようでした。
世界のおもちゃの展示もありました。
日本のはおもちゃ───というより民芸品と言うべきものも混ざっていました。
ざっと見て、カルタ、招き猫、千代紙、折鶴、それ以外の折紙作品、だるま、日本人形、舞妓人形、5月人形、ヨーヨー、鳥笛、ひな壇、琉球人形、羽子板、こいのぼり、コケシなど、ショーケース2つ分で1番多かったです。
おもちゃ博物館にはマリオネット劇場が隣接していました。
しばらく閉館していたようですが、近々やっと上演が再開されるようです。
あいにく再開するのは、私がこの旅行を終え、帰国して、とっくに日常生活に戻っているはずの日でした。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html「“タルトゥはエストニアの精神的首都”、地元の人々は誇らしげにそう語る。タリンはいわば商業中心の表向きの顔、国の頭脳と魂を支えているのはここタルトゥというわけだ。町の中核であるタルトゥ大学はすでに400年近い歴史を持ち、今も多くの人材を輩出し続けている。
タルトゥにはすでに11世紀には公益の中心が築かれていた。十字軍騎士団に占領された後は独立司教領となり、ドイツ名ドルパット(Dorpat)のもとにハンザ同盟に加盟、商業都市として栄えた。スゥェーデン王が大学を創設してからは学問都市としても名をはせ、それは現在まで続いている。
最初の歌の祭典の開催、エストニア人協会の成立など、19世紀のタルトゥは民族の自立を導く役割を果たした。ソビエト・ロシアからの独立戦争に勝利したエストニアは、1920年にタルトゥで平和条約を結び、国家としての産声をあげた。」
(「‘09~’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)